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石井麻由子留学時の写真

私と英語④

人間、「期限」と「目標」が決まるとお尻に火がついて、やるべきことをやらざるを得なくなります。その点「入試」と「英語コーチング」は似ています。ただし、英語コーチングはもっとワクワクするものですが…。

その「期限」と「目標」に向かってなんとか頑張った結果、無事大学入試を突破。「入学のしおり」なるものを手に入れて最初に見たページは「交換留学制度」でした。1年間の学費、寮費、食費、教材費、渡航費、すべて免除です。(ただし、日本の大学には1年間の学費を払う)

大学2年時に交換留学の選抜試験を受けるとして、そのために必要なのは、▽大学の成績がある程度良いこと、▽受け入れ大学の要求基準を満たすTOEFLの点数、▽日本語と英語のエッセイ、▽日本語と英語の面接。以上の4つです。

TOEFLはさすがに自習は難しく、TOEFLの試験対策専門塾に通いました。大学2年次の選抜試験までに、必要とされるスコアをとりあえずとることができました。

エッセイは、そのころエッセイライティングの型があることなども全く知らず、ほとんど手紙のような感覚で、自分の熱意だけを書き連ねたと思います。表現や文法など、かなり怪しいものだったに違いありません。ネイティブチェックの必要性など考えもしませんでした。(今から考えると、あまりの情弱、無謀ぶりにびっくりします)

希望大学は、”いわゆる偏差値が高そうな有名大学”ではなさそうなところから3つを選択しました。それは、ひとえに受かる可能性が高くなるのではと思ったからです。

書類に無事合格、そして迎えた二次試験の面接。日本人男性教授2人と優しそうなアメリカ人男性講師1人の3人が部屋にいたと記憶しています。アメリカ人から「なぜこの希望リストにしたのか?」と問われ、「うっ」と一瞬言葉に詰まりそうになりました。本当の理由を言えるわけもありません。とりあえず、「ある程度の大都市が近くにあるものの、郊外としての大学町をエンジョイできそうだから」などという苦しい理由を述べた記憶があります。後で調べたところ、ある程度の大都市が全く近くにない大学を第三希望にしていました。

受かった理由は「熱意」。ただそれだけだったと思います。
そうして大学3年の夏からミシガン州カラマズーにある、州立のウエスタンミシガン大学に、文字通りスーツケース一つで行きました。”ある程度の大都市”である、シカゴとデトロイトの中間あたりにあります。留学時の話はまたいずれできればと思っております。

大学にいる学生は、①日本人留学生、そのほかの海外からの留学生、そして③アメリカ人と3つのグループに分けられます。①と②とはすぐに仲良くなれるものの、③との距離を縮めるのはなかなか難しいものでした。

逆の立場として考えてもそうですよね。日本育ちの日本人の集団に、例えばベトナムからの留学生が入るのは難しいという感覚と似ています。
得意な音楽やスポーツなども特にはなし。例えば、料理クラブ、編み物クラブなど、共通の趣味をきっかけにしたら仲良くなれるのではないか、といったアイデアも浮かばないまま、漫然と時が過ぎていった感覚があります。

講義で教授の話す英語は、事前の知識があるものに関してはそれほど苦労はありませんでした。共通コンテキストがほとんどない現地のアメリカ人学生と深い会話ができないというのが、やり残した宿題のように残りました。

その宿題は、それから20年後にようやく終わらせられた気がします。娘が4歳から3年間通っていた、シンガポールのインターナショナルスクールのイギリス人ママとの友情です。
お互いに子育てという共通のプロジェクトを抱えている同志だったからかもしれません。シンガポールでの話もまたいつかしたいと思います。

ちょっと恥ずかしいのですが、先日発掘した留学時の写真です。「赤毛のアン」の舞台で有名な、カナダのプリンスエドワード島にミシガンから飛行機を乗り継いでいきました。なぜ発掘したかというと、過日、NHK文化センターで「村岡花子訳、赤毛のアンを読む」という朗読講座 を担当し、「グリーンゲイブルズで撮った写真を再び見たい」と探したからです。オンライン講座だったので、講座最終回のパワーポイントの最終スライドに、この写真をありがとうメッセージとともに載せました。

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