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シンガポールのインターナショナルスクールにて、年長時のクラス

真面目な保護者ほど追いつめられる?大事にしたい子どもの目の輝き

今回取り上げた記事

子の将来は6歳までで決まる? 共働き親がすべきたった1つのこと

「幼児期の教育が重要」と言われているけれど時間がない! 親の関わり方の正解とは

今回取り上げるのは、「子の将来は6歳までで決まる? 共働き親がすべきたった1つのこと」という教育記事です。我が家の一人娘は現在高校1年生なので、幼児期だったのは10年も前のことです。娘が4歳から7歳までの3年間は、夫の転勤に帯同してシンガポールに暮らしていたため、娘の幼児期は学校での英語環境に馴染むことと、帰国後の日本語での学習に遅れをとらないことをミッションとして、両方の言語での学習に一生懸命になっていました。

現地でのインターナショナルスクールの放課後、日本語の読み書きの個人レッスンに通っていた時期があります。インターナショナルスクール自体は休みだったものの、夕方に日本語レッスンを予定している曜日だったある日のこと。夕方の日本語の時間ギリギリまで遊びに費やし、急いでタクシーでレッスンの場所まで移動しました。しかし当時5歳ほどの娘は、遊び疲れて完全に車中で眠ってしまいました。気持ちよく眠っていたところ起こされた上に、連れてこられた先が日本語のレッスンだったと改めて認識した娘は大泣きし、「行きたくない」と全身で拒否をしたことがあります。それでもなだめすかしてなんとかレッスンを受けさせたものの、娘の機嫌も悪くやる気も一切なし。先生にも申し訳なく、大変恐縮したのを思い出します。

「一回でも欠席すると、せっかくひらがなを順番に覚えていったのに、遅れが出てしまうかもしれない」、「疲れたからという理由で休んでいたら、サボり癖がついたら困る」などとその頃は真剣に考えていたのでしょう。しかし、今になって思うのですが、記事中に書いてある、子どもの『やってみたいこと』『興味を持ったこと』に向き合う時間の保証をその時あまり大事にしていなかったことを少々後悔しています。

「文字の読み書きや英語、計算といった先取り教育よりも、意欲や忍耐力、協調性といった非認知能力を培うことが大切だ」と記事にある通り、学校に入ったらいずれにせよ学ぶことになっている「文字の読み書きや英語、計算といった先取り教育」の優先順位は少し落としてでも、植物の根っこの部分に例えられる「非認知能力」を大事にすべきという論調に共感しました。

私がチューターを務めているグローバル教育情報Edu.torでは、定期的にオンラインのセミナーを行っていて、私は2月のセミナーからファシリテーターを務めています。2月のセミナーで取り上げたのは、幼児教育メソッドとして有名な「モンテッソーリ教育」を家庭で取り入れる方法でした。そもそもモンテッソーリ教育とは「子どもの自主性を尊重し、感覚教具(モンテッソーリ独自の教材のこと)と自己主導型の学習を通じて、個々のペースで発達を促す教育法」と言う定義があり、「自主性」「自己主導型」「個々のペース」というキーワードの数々にはっとさせられました。

真面目な保護者ほど、子どもの将来から逆算して色々詰め込んだ教育をしがちだと思います。ましてや共働きだと、子どもと触れ合う時間に制限があるためか、同じ1時間を過ごすならば、より認知能力を鍛えようと考えがちかもしれません。しかし子どもをよく観察し、その子の興味関心を見極めることの方が優先順位は上で、「どーんと構えて、子どもと一緒に好きなことを楽しむ」くらいの気概がちょうどよいのだと改めて思い知らされた次第です。

シンガポールのインターナショナルスクールにて、年長時のクラス

シンガポールのインターナショナルスクールにて、年長時のクラス。友達との絆を表現するオブジェと思われます。

シンガポールのインターナショナルスクールにて

同じくシンガポールのインターナショナルスクールにて。保護者ボランティアとして何度か教室に手伝いに行きました。

シンガポールの日本語補習校

小学1年生から毎週土曜日に通い始めたシンガポールの日本語補習校。ダブルスクール生活でした。

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